
今回は、青葉城西高校のバレー部員の将来の職業についてまとめていきます。
青葉城西高校バレー部員
名前 | 将来の姿 | 状況 |
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バレーボール選手となり世界で活躍する。 | ![]() |
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日本代表チームのアスレティックトレーナーになる。 |
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宮城で葬儀会社に勤務している。 |
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東京で転職活動中。 |
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神奈川の水族館に勤務中。 |
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宮城でスポーツインストラクターとして働く。 |
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大学4年生。来年から埼玉の電気工事会社で勤務し、たまでんエレファンツ(VリーグDivision2)に所属予定。 |
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大学4年生。来年からは宮城の一十一銀行に勤務予定。 |
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仙台フロッグス(VリーグDivision2)に所属。 |
キャラ詳細
及川 徹

高校卒業後は、アルゼンチに渡り、CA SanJuan(アルゼンチンリーグ)でプレーをしている。
及川徹がアルゼンチンに渡った理由は・・・
及川徹が小学生の時に仙台が会場だった、日本VSアルゼンチンの試合を観戦。
その時の試合で、アルゼンチンのエースを立て直した セッター ホセ・ブランコ選手に憧れる。
そのホセ・ブランコは、及川徹が高校生の時 立花レッドファルコンズで監督をやっていた。
バレーを続けるか迷っていた及川徹は、ホセ・ブランコに将来について相談に行き、話を聞く中でホセ・ブランコから学ぶと決めた。
そのホセ・ブランコがアルゼンチンに戻ったため及川徹もアルゼンチンに渡ることに。
そして、後に帰化し、東京オリンピックでは、アルゼンチンの選手として日本代表と戦う。
アルゼンチンでは、ビーチバレーをしている日向翔陽と出会い、一緒にプレーをすることもあった。
岩泉 一

高校卒業後、スポーツ化学科のある大学に進学。
岩泉一は大学卒業後、高校生のときに読んでいた本の作者 空井崇に弟子入りしたいと考えていた。
空井崇に話を聞くため、大学2年生の時にアメリカのカリフォルニア州アーバインに行くことに。
この空井崇は、白鳥沢高校だった牛島若利の父親であった。
そのため、アメリカで牛島若利に会い、プレーについて話すことも。
その後(3年後?)カリファルニアにいる岩泉一の様子が描写されているので、空井崇に弟子入りできたと思われる。
そして、東京オリンピックでは、日本チームのアスレティックトレーナーとして働いている。
参照/引用:
・ハイキュー/集英社公式サイト
・Wikipedia
・ハイキューOFFICIAL WEB SITE
・アニメ『ハイキュー!!セカンドシーズン』公式サイト
・ハイキュー!!.com公式Twitter